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祝 令和

 令和元年がスタートしてから早3週間が経ちました。

新元号が「万葉集・梅花の歌32首」の前に置かれた漢文の「序」を出典とすることを

最初に知った時「梅」とご縁があることをとても嬉しく感じました。

天平2年(730年)今から1300年近く前の大宰府で催された優雅な宴に思いを馳せます。

この序文の梅花の宴の趣旨の口語訳は、産経新聞(5月2日朝刊)に井上さやかさん

という方が書かれていますので、記事をそのまま書き写します。

 

「良い季節を迎えて白梅が美しく咲き、良い香りを漂わせている、心地よく酒を酌み交わしながらそれぞれが満ち足りている。この心境は、詩歌でなければとても言い表すことなどできない。中国には多くの落梅の詩があるが、われわれはこの庭の梅を和歌に詠もうではないか、と参集した人々に和漢折衷の斬新な創作活動を呼びかける内容です」

 

 日本は、異文化を柔軟に取り入れて、さらにそれを発展させ、独自の日本文化を創造するという能力を持つ国柄であることを強く感じました。

 

 さて今年も青梅の収穫が始まりました。

全国の梅の収穫高(約10万トン前後)の内、和歌山県はその6割を生産しています。

和歌山で収穫される梅のほとんどが南高梅(なんこうばい)です。

そこで南高梅のルーツを少し調べてみました。

 南高梅は、明治35年に髙田貞楠(さだぐす)氏が自分の所有する桑畑を梅畑にしようと考え実生苗(種子をまいて育成した苗木のこと)を植え、その中から果実の大きい梅をみつけ「髙田梅」として栽培したのが最初です。

梅の優良品種を統一して市場の安定を図る為、この地に梅を増やそうと昭和25年に

「梅優良母樹選定委員会」が発足し、5年に渡る研究の結果、髙田梅が最優良品種と

認定されました。

調査に当たったのが南部高校の教諭 竹中勝太郎氏と生徒であったので校名と

髙田氏に因んで「南高梅」と名付けられました。

皮が薄く種が小さくて果肉が多く柔らかい南高梅は60年前に生まれてから徐々に有名になり今では全国で有名になっています。

実鈴の白干梅も豊玉梅もすべて和歌山県産の南高梅です。

 

 令和の時代に何を志して生きるのかと自分に問いかけて「梅」が一人でも多くの人の健康に役立ちますように、その効用を伝えて行きたいと改めて思いました。